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2007.01.31

バイク5人乗り! ホーチミン

ホーチミンの交通手段で最もポピュラーなのがバイク。3人乗りなどたいして珍しくもありません。かねがね5人乗りを狙っていたのですが、ふふ、やりました! 場所は聖マリア教会の近くです。まずはちょっともたいぶって4人乗りから。

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ジャジャ~ン! お父さんは片手運転?

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近所の公園に水仙を見に行ったのですが、公園は整備中でした。今日は風が冷たかったのでお花の撮影はどっちにしても無理でしたね。明日は福岡も雪だそうです。

2007.01.30

路上の床屋さん ホーチミン

ベトナムには路上の床屋さんがあるとは聞いていたのですが、帰国間際にチャンス到来! 意外と中心街の路上でもやってました。

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↓こちらは同じ通りの床屋さん。お客さんがいなくて暇みたい。P10509971

近くの路上では

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本日無事に帰国しました。暖かいですね~。

2007.01.29

ホーチミンの蝶々(3)

公園のお花の入れ替え後、何度も蝶を撮りに行ってるのですが、まだつぼみなので蝶が少なくて撮影ができません。ヒャクニチソウが咲いていたときは色んな蝶々が来て楽しかったのですけどねぇ。今日はそのときに撮った画像をアップをします。日本でもおなじみの蝶ですね。

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前回の蝶々でアップしたものと重なりましたので、下の画像に差し替えました。(2007/02/01)

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2007.01.28

ベトナムの宗教 仏教偏

P103057111ホーチミン市内にはタイ・ヤック寺というカラフルで派手な大仏様が安置されているお寺があるのですが、残念ながらそこは再建設中で見学できませんでした。お寺に限らず現在ホーチミンではすごい数の店舗や住宅が建設中で、ラッシュそのものです。そこで代わりにベトナム人が紹介してくれたクオック・タ寺 (Vet Nam Quo'c Ta)を訪ねてみました。

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Pict02681_2 ところが、このお寺に関してガイドブックはもとよりネット上でも何も情報がないんです。仕方がないので画像を載せながらベトナムの仏教について語っていこうと思います。

P10305871 ベトナムの仏教徒人口は総人口の7割とも9割とも言われています。仏教伝来は定かではありませんが4~5世紀のようです。10世紀に入ると各王朝で仏教が保護され、長い間中国の影響下にあったので、禅宗に密教や浄土教が加味された中国系の大乗仏教が主流になりました。儒教や道教の要素が入った仏教といえるようです。Pict024511_1

フランスの植民地になって一時仏教は衰退しますが、1925年以降は復興運動が起こり、また盛り返しました。 1968年には親米派のゴ・ディン・ジェム大統領の仏教弾圧に講義して、座禅を組んだ仏教僧がサイゴンの路上で焼身自殺を図ったそうです。お寺の数を見ても信者の 多さが覗えます。とにかく日本の仏教に慣れていると色々なお寺があちこちに存在するので驚いてしまいます。

↓二階の部分に置かれていたものです。

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2007.01.27

俳優顔負けホーチミンのブライダル写真集(2)

先日、革命博物館で二階の展示を見に行こうと階段のところへ行くとブライダルカップルが! 

P10400961やはり嬉しそうですね!

P10401001ういういしい花嫁さん。

P10400381上の写真撮影が行われているときこちらのカップルが階段の下で出番を待っていました。 花嫁さんは本番にむけて気合が入っている感じですね。

P10400081ヴァイオリンが小道具ですね。

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P10309891で、次はこれです!

P10309651革命博物館の外に出てみると……南ベトナムの要人が乗っていたという車が展示してあるのですが、それが何と小道具というか大道具に!

P10309841 いや~、本当に俳優さんみたいですね! バッチリ決まってます。

で、私はすっかり忘れてしまいました。この建物はコロニアル様式なのですが、階段の踊り場の天井を撮ろうと思ってたのですが、撮影が終わらないので奥の小さな階段を上って二階に行ったんです。展示品を観て降りたときにはすっかりコロニアル様式のことは頭から抜けていました。

写真撮影を快く承諾してくださった新婚さんカップルさん、どうぞお幸せに!

2007.01.26

俳優顔負けホーチミンのブライダル写真集(1)

聖マリア教会のときもシクロ(2)のときも花嫁さんをご紹介しましたが、1ヶ月もこちらにいると街で新郎新婦を見かけるのはそんなに珍しいことではなくなってきました。通りのあちこちで記念撮影が行われています。日本はスタジオで撮るのが普通ですが、こちらの人はレトロな建物を背景に撮ることが多いようです。本物はいいですものねぇ。年の初めにベトナムの伝統衣装の花嫁さんを見かけましたので撮ってきました。まずそれからご紹介します。サイゴン伝統の帽子のようです。l

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P10209141ホテルの前で撮影。ごく普通です。

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←ちゃんとカメラマンからポーズの指示がでてるんですよ! 男性は片手で葉っぱを持ち、女性はスカートをちょっとつまんでと。花嫁さんも嬉しそうですね!

Pict02831_1 →こちらはホーチミン中央郵便局前ですね。男性が葉っぱを指差して女性が男性を見つめるポーズのようです。でも、背景にバスや車や人が入りそうですが、いいのでしょうかね?

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←ね、ちゃんと指示されているでしょう! バイクのお兄さんも観光客も見つめています。

Pict04881_1 →このカップルはビデオ撮影だったので、マリア様の周りをぐるぐる廻らされていました。33度くらいあるんじょで、花嫁さんはちょっとお疲れ気味。↓その後観光客から一緒に撮影の依頼が!

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Pict023411_3 →聖マリア教会の赤レンガを背景に撮影するのは情緒があっていいのだけど、問題は交通量。

Pict023511_1こんな中じゃ笑顔もでませんね。

なかなか道が渡れない!

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P10408521_2今までで一番笑顔がなかった新婦さん。;

P10408651_1 →新郎は笑顔なのに新婦さんに笑顔が見られませんでした。ずっと撮影中もそうでしたね。

いやいや、お疲れ様でした!

2007.01.25

ヴァン・ギエム寺 Chua Vinh Nghiem (永厳寺)

P10305281_3   ベトナムにはたくさんのお寺がありますが、日本のお寺に一番近いのがこのお寺。それもそのはずですね、日本に留学していた僧によって建てられたとか。日本との結びつきもかなり深いようです。 Pict01831_7                           建立は比較的新しく1971年。北部に古くから伝わる建築様式で建てられていますが、当時最先端の機材と建築技術で建てられました。日本名は「永厳寺」。境内には40Mの七重の塔があります。

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Pict01701 日本との親交の深さを示すのがこの鐘です。南ベトナム最大のものだそうですが、横浜市の曹洞宗総持寺から寄贈されたとか。→この鐘のことだと思いますが、なぜか白い紙がべたべたと張ってありました。お札(お金)を意味するのでしょうかね。内部は本当に日本のお寺のようでした。

Pict01621_4   ←本堂のお釈迦様を横から撮りました。正面からだとキンキラキンでうまく写せませんでした。Pict01211_5 旧暦の1日、満月の15日には多くの人がお参りにくるそうです。この日、若い女性が一人熱心にお経を読んでいました。

 

2007.01.24

悪名高き?便利屋シクロ(2)

日本人観光客からすっかり嫌われているシクロですが、それでは生活が成り立ちません。で、どうするのでしょう? 早く言えば宅配便のお兄ちゃんにもなるんです。そう、荷物も運んじゃうんです。何を運ぶかって? そりゃーまぁー色々です。

↓一般的にはこういう物。P10306501

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↓これは何だかよく判りません。

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↓これもブツはさっぱり判りませんが、二人がかりです。

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↓こちらは一人で引っ張ってます。

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↓これもブツが判るようで判らない。押してますね。

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↓このお兄さん、いつもの習慣で日本人と見るとつい声をかけてしまいました。あなた、今、物を運んでるんでしょう?! そんなのに乗れって言うの?

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↓バイクと人の乗ったシクロ。(2007/01/25追記)

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↓シクロは人を乗せなくちゃね。団体さん?ああツアーね。

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↓でもそれよりいいものがあるのよ!

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うーん、やはり新郎新婦を乗せて走ってるところを撮りたかったな~。次回はぜひ!

2007.01.23

悪名高き?便利屋シクロ(1)

P10109281 メーター制のタクシーはあるものの、未だに地下鉄のないホーチミン市民の足はやはりバイク。暑い中、お兄ちゃんの背中にしっかりくっついて乗るわけですけどねぇ。

P10309561 もう一つガイドブックなどで悪名高い乗り物にシクロがあります。昔の輪タクですね。どうして悪名高いかと言うと危険だから。もちろん事故の危険もそうですが、値段の交渉がね、まず観光客はだまされるのです!最近ではツアーに含まれるシクロ以外、観光客はあまり乗らないようです。ですから余計に観光客と見るとしつこく声をかけてきます。バイクよりかなりしつこい!観光地では空のシクロがずらっと並んでいるのをよく見かけます。↓ポツンと置かれたシクロ。

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↓そうでなければこんな風景も。P10302661

↓空のシクロならどこでも走っています。P10407151

でもシクロはこうでなくちゃ。観光客が乗った姿は抜群に絵になります。

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↓日本人もシクロに乗ればそれなりに……。P10406101

↓聖マリア教会の赤レンガを背景に。P10406131

↓西洋人はもっと堂々としているかしら?Pict03371_2

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マクロレンズだったので安全地帯から動けず大写しになりましたが、撮影のお礼を大声で言って手を振ると気さくに手を振ってくれました。

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こうやって見知らぬもの同士が手を振るのもシクロの楽しさです。Pict03521_1

↓でも優雅に乗ってばかりもいられません。向こうに行く車線にこちらに向かうバイクが! しかも横切りろうと構えるバイクの列も!P10301511

↓でもこういう危険はシクロに限ったことではありません。先日車の後部座席から撮ったシーンですが、左に走ってる車から撮ってるのに、右に向かうバイクがどんどんやってきます。こんなのはホーチミンでは日常茶飯事。

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で、観光客はツアー以外あまり乗らないシクロですが、シクロも色々使い道があるのです。何かと言うと……長くなるので次回に廻しましょう。ごめんなさい。

↓1月30日に撮影。杖をついたおばあさんと子供が乗ったシクロの対比を皮肉にもカメラが捉えました。(2007/02/04追記)

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↓年配の人で荷物のある人はバイクよりシクロの方が便利ですよね。中心街でベトナム人がシクロに乗っている姿はあまり見たことがありませんね。(2007/02/08追記)

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2007.01.22

革命博物館 ホーチミン

P10406811 この国にいると社会主義国ということを忘れてしまうほど物資も豊富で自由な雰囲気ですが、ホーチミン市には革命博物館が存在します。といっても展示品はそれほど多くはなくむしろ時代を経てきた建物とその歴史に興味をそそられます。P10402131

 建物の建設はフランス統治時代の1866年.。フランス官僚jの邸宅として使用されました。様式はコロニアルスタイル。当時の官僚はやはりすごい邸宅に住んでいたのですね。その後、南ベトナムの初代大統領ゴ・ディン・ジエム(在任1955~1963)が隠れ家として使いました。つまり統一会堂(旧大統領官邸)からここまで地下道でつながっていたのです。P10400641

館内の展示品は解放前の地図や武器などが主ですが、その中に当時の結婚衣装が展示されていました。係りの人に尋ねても、写真撮影はどうぞどうぞとおおらかなものです。

当時の生活用品に混じってカメラが展示されいたので撮ってきました。ガラスのケースに入っているのでちょっと見にくいのですが、きちんと手入れされていれば現在でも使用可能なのでしょうか?P10400791

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博物館の外には南ベトナム時代上層部が使っていた車や、革命後ただちに米軍から押収した戦闘機などが陳列してあります。でも管理がずさんで埃だらけなので余計に時代を感じてしましいます。

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革命後没収されたヘリコプターは、ベトナム人パイロットにより操縦され今度はベトナムのために物資を運んだり人命救助などに使用されたそうです。

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米軍の戦車も没収されると同時にベトナムのマークが付けられました。

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当時の官僚が乗っていた車の数々。ちょっと懐かしいですね!

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博物館のお庭の片隅にとても面白い樹がありました。幹の束が絡まって一本の樹を作っているみたいです。根元の所にお供えがしてありました。ベトナムらしいですね!

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2007.01.21

ベトナム最古のお寺 ティエン・ハウ寺(Chua Thien Hau)

多民族国家のベトナムの大半を占めるのは中国系住人ですが、お寺の種類も種々様々。ですから色んなお寺があっても不思議はないのですが、あまりにも日本と違うので驚きを隠せません。その筆頭がこのテン・ハウ寺(Chua Thien Hau)。ホーチミンの中心街から西に5キロ、チョ・ロン地区の中国人街にあります。

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ベトナム最古のお寺で華僑によって 940年に建てられましたが、その後何度も建てかえられたそうです。海を渡るすべての人を守るように、航海安全の守り神ティエン・ハウ(天后聖母)が祀られています。その像はお寺の一番奥に鎮座しています。福建省系の華僑の間では広く信仰されているようですね。P10309231    

とにかく門を入ると狭いながらも異質の空間が広がっています。極彩色の細かい装飾があちこちに施され、観光客は目を奪われます。イスラムやケルトの装飾文様とはまた違ったテイストで私の目は釘付けになりました。お線香の煙がたちこめる中、入口の両脇に祀られているのは危険を侵して海を渡りこの地に移り住んだ先祖の人たちのようです。

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このお寺のもう一つの特徴は天井からぶら下がる渦巻状のお線香。私はマカオのお寺で同じものを見ているのでさほど驚きはしませんでしたが、煙に浮かぶ渦巻きのお線香の群れはちょっと圧巻です。

P10308681_1  私 が訪れたとき、ある家族が一家揃ってこの渦巻きのお線香を天井にぶら下ているところでした。紙には願い事が書いてあるのでしょうか?それとも名前が書かれているのでしょうか?その紙はお線香の上部に付けられていました。昔からの風習がこうして親から子に授けられいるのですね。お線香は燃え尽きるのに一週間ほどかかるとか。ベトナム人は大家族主義ですが、華僑は特に家族の結びつきが固いようです。 

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P10308791_1  このお寺は航海の安全と商売繁盛のお寺でもあり、人々の篤い信仰を集めています。宗教は何であれ祈りを捧げる姿には人間の原点を見る思いがします。P10309091_2                              装飾あふれ色彩豊かなお寺ですが、人々の信仰の篤さも随所に認めらます。お供えやお線香をあげる若い人が後を絶ちません。ベトナムではこのお寺に限らず、若人の信仰心の篤さはあちこちで見られるのです。

※管理画面とブログの幅が違うのでやりにくいですね。管理画面できちんと出来ていてもブログに反映されないのでお手上げです。ココログきらい~~! 

2007.01.19

ちょっとひと休み ベトナムのおばさん

ベトナム人はカメラを向けても嫌がらない人が多くて助かりますが、構えてしまうのでなかなか自然な姿が撮れません。この行商のおばさんとはすっかり顔なじみになりましたが、カメラを向けるといつもポーズを作ってしまいます。でも今日はわりと自然な感じに撮れたように思います。 日本では肖像権がうるさくて人物撮影はとても難しいのですが、ベトナムでもスナップ以外一応断ってから撮るようにしていますが、そうすると構えてしまうのですよね。

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ちょっとお疲れ気味でしょうか?

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この人、実は「街角で働く女性たち」の一番下の人なんですよ。天秤を下げているときは歳にはみえませんが、近くによれば頭は白く、前歯もありません。ベトナム女性は日本人より若く見えると思いますが、この方はとてもスリムで働く姿は60才以上には見えません。

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↓画像を整理していたら出てきましたので追加します。(2007/1/28)

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2007.01.18

フランスの香り 中央郵便局 ホーチミン

P10300262 時々聖マリア教会(サイゴン大聖堂)の辺りを散歩するのですが、そんな時必ず立ち寄るのがすぐ傍にある中央郵便局。聖マリア教会と並んでホーチミンで最もフランスの香りが漂う場所かもしれません。P10404932 聖マリア教会(サイゴン大聖堂)と中央郵便局とは道を隔てて建っているのですが、中央郵便局の中に入ると扇風機の涼しい風が迎えてくれるのでほっとします。P10300491

そしてまず目を引くのがドーム型の大天井! しかもトップは明り取りを兼ねたガラス張りなので明るくてゆったりとした雰囲気に包まれます。オルレアン鉄道の駅舎を利用したパリのオルセー美術館を知っている人は、よく似た構造に親しみを覚えるにちがいありません。P103005811 建物はフランス統治時代の産物で1886年から5年の歳月をかけて建てられました。。細部の装飾もなかなかしゃれていますね。切手も色々販売されていました。P10405471                                そういえば表玄関中央ににはめ込まれた時計などヨーロッパの鉄道駅を連想させますね。P10300801_1        目を引くのはドーム型の天井だけではありません。床のタイルもなかなか魅力的! アラベスク調の様々なタイルが縦横にはめ込まれ、幾何学的なパターンに色彩のハーモニーが加味されて面白い模様を作り出しています。P10300711

国際電話もかけられ英語のインフォメーションデスクもあるそうです。ドーム奥の壁にはホーチミンの肖像画がかけてありました。P10300961_1 二階には少数民族の民芸品コーナーがあり販売もしています。のぞいてみるのも楽しいですね。

2007.01.17

夜の帳が下りる頃 ホーチミン

バイクの群れにも慣れて昼間は自由に動き回っていますが、夜はどうもダメですねぇ。交通ルールを無視して突っ込んでくるバイクや車が恐ろしく夜は夫の後からちょこちょこついていくだけです。さすがに夫は慣れてますが、夜の街もどんどん撮れるようになりたいですね。

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2007.01.16

忍耐と知恵の勝利 クチトンネル(2)

P102062711  秘密の防空壕の近くには爆弾で大きく陥没した土地がそのまま残されていました。2m近くも陥没するんですね! ↑地雷を踏んで動けなくなったアメリカの戦車も展示されていました。

P10206731 クチの住人がトンネル内で使用した道具の大半はアメリカ軍やアメリカ兵から盗んだ物です。医療器具など様々な道具が作られ簡単な手術などもトンネル内で行っていました。サンダルは古タイヤを利用しています。作っているところが実演され、大小様々なサンダルがぶら下がっていました。現在では外国人用の大きなサンダルも作っており、旅行客には人気のみやげ物だそうです。P10206221 当時のベトコンの服装は人形によって知ることができます。迷彩服ではなく迷彩模様の風呂敷をマント風に着ていました。これのほうがはるかに用途が広く、風呂敷文化の私たちには容易にその便利さが理解できます。兵士のためにハンモックのある休憩所も用意されていました。P10206431 次に武器製造所を見学しました。もちろん地下にあるのですが、現在では手榴弾や爆弾を作る様子が人形で示されています。 

P10206091 クチの住人は巧みに落とし穴を作ってアメリカ兵を悩ませました。いたって原始的なやり方なのですが、仕掛けの巧妙さに驚かされます。動物を捕獲する昔ながらのやり方なのですが、その仕掛けはテクノロジー一辺倒のアメリカ人の度肝を抜きました。落とし穴も大小様々で、釘も下から出るものばかりではありません。穴の両横から同時に釘が飛び出すものなどその知恵には舌を巻きます。小さな穴ですが、両横から足に釘が刺さると、足を引き上げるのは困難です。余計に傷が広がることになるのですから。

P10206891 さていよいよ名高い地下トンネルです。クチトンネルの複雑さと規模はベトナムでも他に類を見ませんが、その距離は200キロにも及ぶそうです。といっても初めから網の目状に計画されたものではなく、ベトナム戦争が長引くに従ってその複雑さを増して行きました。

P102062511_1 トンネルの深さは三層に分かれていて、上から地下2m,6m、10mの深さに掘られています。しかもトンネルにはちゃんと空気穴があるのです。写真の木の根にある穴は巣穴ではありません。換気のための穴なのです。

P102068311 トンネルは観光客用に実際より広くしてあるそうですが、日本人はしゃがんで歩けるものの、体格のいい欧米人には無理です。私たちの前にいたドイツ人のカップルは二人とも腹ばいになって進んでいきました。しゃがむのと腹ばいでは大きく違います。腹ばいの場合は方向転換が容易にできません。迷路のようになった網の目をあちこち行き来するには腹ばいはとても不利なのです。↓の写真は感度を上げて撮っていますが、実際は真っ暗で手探りで進まなければなりません。

P10206871_1  足元にところどころ明かりがありますが、前に人がいるとその明かりも体で塞がれてしまいまい、先が見えないストレスと恐怖感は相当なものです。湿度が高く汗ぐっしょりで換気の悪さに数分も行くと嫌になります。トルコのカッパドキアの地下都市とエジプトのピラミッド内の狭い通路を経験しましたが、クチのトンネルほど歩くのに大変なところはありませんでした。戦闘の激しいときは数日間地下に隠れていなければならず、その忍耐力には敬服します。トンネルの中は蚊やサソリも多かったとか。マラリアも発生しましたが人々は忍耐力と昔ながらの知恵で乗り切ったそうです。

ですからアメリカのジレンマは相当なものだったに違いありません。トンネルの入り口を見つけることはあっても物理的に中に入って調べることさえ不可能だったのです。何よりもトンネル内の生活はアメリカ人にとって思いもよらないものでした。クチトンネル(1)もどうぞ。

2007.01.15

ホーチミンの蝶々(2)

ココログのメンテナスのためクチトンネル(2)は次回にまわして、今日はホーチミンの蝶々(2)をアップします。

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※ココログのメンテは明日でした。外国のカレンダーは一番左に月曜日が来るんですよね。日本は日曜日なので、てっきり今日は16日だと思ってました。な~んだ。

2007.01.14

忍耐力と知恵の勝利 クチトンネル(1)

P10205781 この国を大きく変えたベトナム戦争ですが、南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)の人々がどんなに忍耐強くゲリラ活動を展開したか、原始的ながらも人間に与えられた動物的生存本能と知恵を最大限に活用していかにアメリカ軍を打ち負かしたか、その遺物を見てきました。

↑トンネルや防空壕が掘られた場所。

P10207101_1 クチトンネルはホーチミン市から北西70キロ、車で一時間ちょっとの距離にあります。田園地帯やゴムのプランテーションを抜けると木々の生い茂るクチに着きますが、今ではすっかり観光の名所になっています。

P10205691_1  まず資料室に入り、クチトンネルの説明を聞き、ビデオで当時の戦いの様子を観ます。英語、中国語、フランス語の説明はありますが、残念ながら日本語の部屋はなく私たちは英語の部屋へ。う~ん、ベトナム人の英語は解りにくい! ネイティブも首を傾げてあれこれ質問していたので、多分ネイティブにも聞き取りにくいのかも(ということにしておきます)。P10205711 トンネルは複雑に網の目状に結ばれていますが、その工程はいたって原始的。スキとザルを腰に下げて掘られました。彼らの驚くべき忍耐力と体力には言葉もでません! しかもこんな銃を手にしてクチの十代の乙女も実際にアメリカ兵と戦いました。献身的に尽くすベトナム女性の力は計り知れません。↓これは何だと思いますか?

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↓そうです。秘密の防空壕なのです!

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↓いたる所に掘られています。次は男性がトライ。

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↓蓋をすれば人が上を通っても気づかれません。

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↓入るより出るのが大変で腕の力が要ります。

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先ほど入った女性はこの腕の力がなくて自力脱出ならず。他の人に引っ張りあげてもらいました。でもクチの女性は腕の力もあったのでしょうね。独りで男性並みのことができないといけなかったのですから。こういう防空壕を作ること自体、アメリカ人には思いもよらないことだったでしょう。

次回はトンネルや落とし穴などをご紹介します。クチトンネル(2)もどうぞ。

2007.01.12

ベトナムの子ども

ベトナムは多民族国家です。87%がキン人(10世紀に中国から独立を果たした人々が自らをこう称した),残りを53の少数民族と周辺諸国から移り住んだ人々で構成しています。山岳地帯や田舎に行けばもっと民族色が濃くなるのでしょうが、ホーチミンではあまりよく判りません。

↓聖マリア教会の前で声をかけて撮らせてもらいました。ホーチミンにも熱心はカトリック教徒がたくさんいますが、南部はあちこちに教会があり信者も多いとか。子どもでピアスをしているのはとても珍しいような気がします。中東では普通でしたけど。

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↓中国のお寺で撮らせてもらいました。お寺の中で奇声を発していたので(宗教的な意味があるのだと思います)カメラを向けて「OK?]と尋ねると、承諾してくれたのですが、恥ずかしがって最初は下を向いていました。

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↓でも、顔を上げてこんな笑顔を作ってくれました。後ろに母親の影が……。

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二人とも本当にありがとう!

2007.01.11

歴史の皮肉 ホーチミン人民委員会庁舎 

P10303442 聖マリア教会と並んで人気の記念撮影スポットだそうですが、インドシナの植民地時代を代表する建物の前に今ではホーチミンの銅像が置かれ、歴史の皮肉を感じます。庁舎はフランス植民地時代の1901~1908年にイタリア・ルネサンス様式で建てられました。Pict00051

豪華な内装を施し、すばらしい家具調度が置かれているそうですが残念ながら内部は一般公開はされていません。建てられた当時はアジアの国にしては贅沢すぎるとヨーロッパで論争が起きたとか。フランス占領時代は市庁舎として使用されていました。Pict00111_4   ベトナムがフランスの占領下になったのは1887年。ラオス、カンボジアの一部を含めたいわゆるフランス領インドシナが成立したのですが、フランスはベトナム文化や伝統を拒絶したため農民や労働者が組織化して民族運動に発展しました。その中心人物がホーチミンだったのです。 P10203681 その後1940年にフランスがドイツに降伏するまでフランスの占領が続きましたが、ドイツが第二次世界大戦に負けたため、ホーチミンはベトナム民主共和国の独立を宣言しました。↑付近の風景。今は人道を占領するバイク。P10203671 しかし旧支配国のフランスは猛反発し、インドシナ戦争へと発展していきました。戦争ではべトナム軍が勝利したにもかかわず、フランスは南部の割譲を強く要求。P10203711_4  ↓近所の路地裏

その後のジュネーブ国際会議で半強制的に北緯17度線を軍事境界線にすることが決まりました。こうしてベトナムは南北に分断され、インドシナ戦争から米ソ対決のベトナム戦争へと移っていくことになるのです。P10204632 ベトナム戦争の記事は別の機会に譲ることにして、サイゴンが陥落したベトナム戦争終結後、南北のベトナムは統一され南は社会主義国にさせられました。サイゴンはホーチミンと改められ、今ではホーチミンの肖像画のつた紙幣が出回っています。

2007.01.10

ホーチミンで見かけた昆虫

ホーチミンの中心街にあるホテルに滞在しているのですが、そこから歩いていける距離に公園が数ヵ所あります。毎日清掃の人が来て綺麗に保たれていますが、お花はあまり変わり映えしません。でも蝶や昆虫が来るので時々遊びにいっています。昆虫もそんなにめずらしいものはいませんが撮ってきました。どうぞご覧ください。

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2007.01.09

客を待つ男たち

今日は長文ではありませんが、画像が多くて長くなりました。お許しください。

ベトナム女性が働き者だというのは疑う余地はありませんが、ベトナム男性どうなんでしょう? 

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旅行者の目に付かないオフィスで黙々と働いているに違いないとは思いますが、ホーチミンに来て2週間、どうもベトナム男性に対する印象がよろしくありません。

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街中で見かける男性はひがなオートバイの上で緊張感のとけた姿をさらけ出しているのですが、いったいなぜ彼らはバイクの上でぼーっとしているのでしょうか? 

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トルコにいたときもそうでしたね。男性が朝からチャイハネ(喫茶店)でチャイを飲みながら一日中そこで過ごすのをよく見かけましたが、ベトナムの男性はバイクの上で食べる、寝る、新聞を読むをやってのけます。

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でも、すぐに理由が判明。私も↓のように「ヘイ!」と声をかけられました。「はて、私の知り合いにベトナム人がいたからし?」と一瞬戸惑いましたが、すぐに納得。彼らはいわゆるバイクタクシーで客を待っていたのです。観光客には街を見せてやるからと言ってきます。

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↓の人はアオザイの女性と商談成立。タクシーより安上がりなのでしょう。 Pict00841_1

嬉しいでしょうね。女性もちゃんと帽子を被ってます。一応ヘルメットが義務付けられているようですが「みんなで渡れば怖くない!」式でヘルメットの着用は進んでいません。

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いや~、様になってますね!

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でも、おいしい仕事はそうそう転がってはいません。

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たいていの男性は現実の厳しさを思い知らされるのです。P10202111

どんなに周りが動いていても、じっと待つのが仕事なのです。

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今日は長いスクロールをしてくださって本当にありがとうございました。

2007.01.08

何でも揃うベン・タ(イ)ン市場

P10201891_4 日本のツアーに参加すると必ず立ち寄るのがこのマーケット。買い物好きの日本人にはそれほど日本人には欠かせない場所だとか。ベン・タンマーケットは1914年、フランス人によって建てられました。市場の広さは約1万平方メートル。そこにあらゆるお店がひしめいています。P10204181_6 入り口は東西南北にあり、中の大小の通路もそれぞれ同じように東西南北に走っています。細い路地はやっと人が一人通り抜けられる広さ。その狭い路地では若い女の子が黙々と手作業をしていました。少しでも興味ありそうに眺めていると「お母さん、安いよ!」の声がかかり、もう腕を引っ張られています。P10204241_8 私が「お母さんじゃない!」と言うと「あっ、おじいさん!」なんて言われました。もう絶対にここでは買ってやらないから! 主人には「お父さん、お父さん」という声がかかり、主人が「お父さんじゃない」と言うと「パパ」ですって。「パパじゃない!」と言うと「お兄さん」になりました。スペイン人にはスペイン語で呼びかけていましたから、売り子さんの会話はたいしたものです! ここでは言い値で買ってはいけません。P10201161_4 日本人は駆け引きをしながら安く買ったつもりでも、アラブ商人、架橋などの手腕のある商売人には絶対かないっこありません。こういうところで買い物をするときは、ある種のゲーム、ギャンブルと割り切って楽しみながらやるのがいいのかもしれません。 P10204031_9 さしたる楽しみもなかった昔の人は、交渉しながら少しでも安く買い物をするのが一種の気分転換、娯楽の一つだったのかもしれません。とにかく、生鮮食料品はもとより何でも揃うのがベン・タインマーケット。日本のスルメもありました。

P10201081_5 こんなに豊富な物資を見ていると、この国が社会主義国だということを忘れてしまいます。でも物資が豊富に出回るようになったのはここ数年のこと。やはりドイ・モイ政策のおかげのようです。ドイ・モイ政策とは1986年からはじめられた開放政策のことです。「ドイ」はかえる「モイ」は新しくするという意味だそうです。 

P10201341_3 ドイ・モイ政策にいたるまでのベトナムは本当に大変でした。ベトナム戦争後に大量の難民が出たばかりか、集団農営で生産を増やそうとしたことがかえって農民の反感を買ったり、相次ぐ干ばつや水害に見舞われたりしました。1981年のカンボジア侵略やその後中越戦争では国際的にもまったく孤立してしまいました。1981年にはソ連からの援助も打ち切られ危機に陥りました。P10204071_4 ドイ・モイは政治、経済、社会すべてにわたる政策ですが、ドイ・モイ憲法を成立させた後、市場経済や独立採算制の導入、海外資金や技術の流入の成果が出始めて1990年ごろからベトナム経済に活気が出始めました。

P10204301_9 このような危機的状況を打破しようとして始められたのが、ドイ・モイのさきがけとなる新経済政策です。個人経営や請負農耕をきょかしたのですが、すぐによい結果に結びつかなかったようです。都市部のインフレを招いたり、非合法の商売が横行したり、政府もあの手この手で取締りを強化することになったのですが、それがまた経済の停滞悪循環に陥りました。

P10204051_5 1994年にアメリカがベトナムに対する経済封鎖を解除したこともあって、西欧諸国の援助にも弾みがついてベトナムは今、ベン・タンマーケットの中だけではなくkに全体が活気付いています。

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←マーケットの中には食堂もあります。

2007.01.07

ベトナムの女の子

以前から動く子どもの写真を撮りたかったのですが、ベトナムでやっと実現しました。一度だけ親友のお孫さんを撮らせてもらったことがありますが、そのときは男の子で顔のアップを重点的に撮りました。今回は女の子が花壇の縁で遊んでいたので撮らせてもらいましたが、女の子といえども動いているシーンはやはり難しいですね。撮りながら、私に子どもがいたらもっと早くカメラに夢中になっていただろうなって思いながら撮りました。また機会があったら動く子どもを撮りたいですね!

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2007.01.05

街角で働く女性たち

東洋の女性は働き者ですが、ベトナム女性も例外ではありません。社会主義国ということもあり、むしろどの国の女性よりも働き者かもしれません。街角ではさしたる能力も技術も持たない貧しい人たちが日々の糧を求めて働いています。かつての日本もそうでしたが、女性は家族のために身を粉にして働くことをいといません。この人たちにはダイエットもエステもジムも必要ありません。背筋を伸ばして働く姿は本当に美しいですね。

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↓新聞売りです。

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↓やしの実に穴をあけてストローを差してくれます。

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2007.01.04

ホーチミンの蝶々

蝶撮り病はベトナムに来ても治りませんね。お花を見ると蝶はいないか探していましたが、いましたいました! 最初の5枚はコンデジのマクロモードで撮りました。広角マクロになるのかな? 迫力ありますね! でも背景のボケがやはり……。

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ここからは一眼レフで。

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日本同様、黄蝶はベトナムでも片時もじっとしていませんよ。

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まだインタネットが完全に回復してないので、長~い時間をかけてアップしています。管理画面から投稿までの道のりも遠いのですが、記事をアップしている途中で突然画面が変わったり、アップしてみると管理画面とは順序が反対にアップされていたり何が何だかよくわかりません。おまけにノートパソコンが小さくて見難いので誤字脱字の連続でちょっと疲れます。ここのホテルは長期滞在用なので快適に生活ができるようになっていますが、バリのホテルは照明が暗くてネットの設備が揃っていても実際にはとても大変でした。まあ、バリまで行ってネットをする方が悪いのかも。でもプールサイドで水着を着た大勢の人がノートパソコンを操作してましたよ。

ベトナム生活に不満はありませんが、ネットが台湾地震の影響から回復してないこととPCがいつもと違って小さいことがちょっと……です。

2007.01.03

感謝とよろしくを兼ねて! NGOC SUUNG MARINA にて

昨日の夜は、主人がお世話になっているベトナム人(男性3人女性4人)を招いてお食事会をしました。日本人もよく通うというシーフードレストラン「NGOC SUUNG MARINA」に行きました。カタカナをふりたいのですが、鼻濁音や発音がなかなかベトナム人のように行きません。主人が運転手に口頭でこのレストランの名前を告げたのですが、まったく判ってもらえず紙につづりを書いてやっと理解してもらえました。今まで駐在した国の言語は礼儀として必ず文字も勉強してきましたが、ベトナム語は本当に難しいですね! アラビア語も難しかったですが、ベトナム語は特に発音がねぇ。歳なのでしょうね、難しくて勉強意欲がなかなかわきません。夫は先生を探しているようですが、見つかりませんね。

メニューはご招待したベトナム人におまかせしました。出てきたものすべておしいかったですね~。さすがです。

ベトナムでは女性もバイクに乗って通勤する人が多いせいか、あまりお酒は飲まないようです。私はビールをいただきましたが、女性でアルコールを飲んだのは私だけでした。

ビールを頼むとまず↓が出てきます。ピーナッツとエビセンもどき。

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↓前菜のようなものですかね。日本でもこういう料理を出すところがありますよね。生の春巻きの皮に、野菜を乗せて包んでタレをつけていただきます。P10109971

野菜はベトナムの香味野菜、キュウリ、キャベツ、オニオン、唐辛子など。

↓そしてタレをつけて食べます。

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↓マーケットに行ったときにイカの種類の豊富さに驚かされましたが、日本に輸出しているとか。サキイカの多くはベトナム産でしょうね。この焼きイカは本当においしかったです!こちらもぴりっとしたタレをつけていただきます。

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↓ハマグリを小さくしたような貝。これも絶品でした。砂などぜんぜんありませんでしたね。

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↓こうやってタレをすくっていただきます。

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↓あとは説明は要りませんね。そうそう、左上と右の女性が飲んでいるのがココナツの実からそのままストローで飲むジュース。安くてお肌にとてもいいそうです。

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この後、牡蠣の入ったおかゆを食べましたが写真を撮るのを忘れました。これも美味でしたね~。果物、お茶(蓮)で終わりでした。ということで日本人の口に合わないわけがありません。因みにわが旦那様が払ったお値段は、10人分で約1万円。金額も大変満足でございました。どうも現地人と行く場合と日本人だけでいく場合とでは若干日本人だけのほうが色がついているようだと夫は申しておりました。

で、最後にな、な、なんと、アオザイのプレゼントが!!

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右の白いのがパンタロン用、左が上着ようの生地です。それで今日早速テーラーに行ってきました! 30分で出来る旅行者用と違って2週間もかかるそうな。何だか恐ろしいことになりそう! 私のアオザイ姿は永遠にお見せできないと思います。でもアオザイについて色々なことが判明。すごいのだ~。何がって? 機会があったらアオザイについて書きますね。

2007.01.02

フランスの香り 聖マリア教会

ホーチミンに来る前は、街中にフランス語やフランス文化が多く氾濫しているのかと思ってましたが、意外にフランスの香りは漂っていませんでしたね。でも夫に言わせると西洋人の観光客はやはりフランス人が多いとか。私はパリにおけるベトナム料理店やベトナム文化の浸透の方が大きいように思いました。

↓新郎新婦が教会の前で記念撮影をしていました。

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P10405911_1 そんなホーチミン市で最もフランスの香りが漂うのはやはりこの赤レンガの建物、聖マリア教会です。別名をサイゴン大聖堂ともいうようです。中心街のドン・コイ通りから徒歩圏内にあり観光客に最も人気があるスポットです。

Pict03261_4   ネオ・ロマネスク様式の聖マリア教会は1959年12月バチカンから正式に「ノートルダム」の名前をもらいました。ですから英語名は「the Notre Dame Cathedral」。日曜日の15時半になると美しい鐘の音が市内に響き渡ります。建設は1877に始まり3年の歳月を要しました。二つの塔は後から加えられたもので、1900年に40平方の尖塔が完成しました。P10501031_2                                      

この赤レンガは当時フランス本国から運んだということですから、フランスの熱意たるや相当なものだったのですね。でもこの熱帯のサイゴンでは不評でした。内部が暑くなり過ぎるのです。そこで後にレンガをうまくくりぬいて通気口が造られました。装飾をかねた幾何学模様の通気口は、赤レンガの教会としっくりマッチしています。

P10106871_2 日曜日は中に入れるのでステンドグラスも撮影してきました。ガイドブックによると戦争で破壊されたとあるので、これは後に新しくされたものでしょうね。若い人が熱心に十字を切っていました。夕方は賛美歌が聞こえてきて夕暮れの教会と相まって最高の雰囲気でしたね。

↓聖マリア教会(サイゴン大聖堂)近くの風景。(2007/02/08追記)

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2007.01.01

ホーチミンの行く年、来る年 

新年明けましておめでとうございます。昨年は皆様に大変お世話になりました。カメラのことは何もわからない私のために親切なコメントや激励のコメントをしてくださった方々、本当にありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いします。

昨夜は花火が上がるのでは?といううわさにちょっと浮き足立ったのですが、上がったのは風船だけでした。ベトナムの本当のお正月は旧暦のテト。新年の幕開けは普段と少しも変わり間線でした。トルコやアラブではカウントダウンに向けて車がうるさいくらいにクラックションを鳴らしながら走るのですが、それもありませんでしたね。

↓昨夜のホーチミン市内。手前がオペラハウス、後ろがキャラベルホテルです。このホテルはかつてプレス関係の拠点だったので、サイゴン陥落のときのニュースはここから発信されたかもしれませんね。

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年が明けて、いつもと同じようにお雑煮を作って食べました。お餅以外の食材は現地調達です。ほとんどそろっているので日本人には暮らしやすいですね。

↓マーケットに行く途中で見かけた光景です。

現地の人は大家族でもあり、家が狭いということもあって皆揃って道路で食事をしています。これがベトナムの文化なのでしょうね。

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庶民の行くマーケットです。今日はぱっとしないお天気で日差しもなく、写真の色があまり綺麗に出てませんが、歩く分には快適でした。アラブもトルコもマーケットはこんな感じでしたね。

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