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2007.01.11

歴史の皮肉 ホーチミン人民委員会庁舎 

P10303442 聖マリア教会と並んで人気の記念撮影スポットだそうですが、インドシナの植民地時代を代表する建物の前に今ではホーチミンの銅像が置かれ、歴史の皮肉を感じます。庁舎はフランス植民地時代の1901~1908年にイタリア・ルネサンス様式で建てられました。Pict00051

豪華な内装を施し、すばらしい家具調度が置かれているそうですが残念ながら内部は一般公開はされていません。建てられた当時はアジアの国にしては贅沢すぎるとヨーロッパで論争が起きたとか。フランス占領時代は市庁舎として使用されていました。Pict00111_4   ベトナムがフランスの占領下になったのは1887年。ラオス、カンボジアの一部を含めたいわゆるフランス領インドシナが成立したのですが、フランスはベトナム文化や伝統を拒絶したため農民や労働者が組織化して民族運動に発展しました。その中心人物がホーチミンだったのです。 P10203681 その後1940年にフランスがドイツに降伏するまでフランスの占領が続きましたが、ドイツが第二次世界大戦に負けたため、ホーチミンはベトナム民主共和国の独立を宣言しました。↑付近の風景。今は人道を占領するバイク。P10203671 しかし旧支配国のフランスは猛反発し、インドシナ戦争へと発展していきました。戦争ではべトナム軍が勝利したにもかかわず、フランスは南部の割譲を強く要求。P10203711_4  ↓近所の路地裏

その後のジュネーブ国際会議で半強制的に北緯17度線を軍事境界線にすることが決まりました。こうしてベトナムは南北に分断され、インドシナ戦争から米ソ対決のベトナム戦争へと移っていくことになるのです。P10204632 ベトナム戦争の記事は別の機会に譲ることにして、サイゴンが陥落したベトナム戦争終結後、南北のベトナムは統一され南は社会主義国にさせられました。サイゴンはホーチミンと改められ、今ではホーチミンの肖像画のつた紙幣が出回っています。

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コメント

私の学生時代というのは、やはりベトナム戦争の影が色濃く反映されていましたね~
一番衝撃を受けた写真は「殺される側の論理」という本のタイトルの写真、ベトナムで殺された青年の引き裂かれた上半身をアメリカ兵が笑いながら持ち上げているというものでした。
今でも熱が出そうな、恐ろしい写真でしたよ。
私の母は小学校の教師で、家には「世界の子供たちの作文集」というのがありました。その中のベトナム編を読むとようやくフランスに占領されていたけど、これからは国づくりにがんばるぞ~みたいなことが書かれていて胸が痛みました。ベトナムはそれからすぐにあのどろぬまの戦争に踏み込んでいったわけですからね♪
あの作文を書いた子供は生き抜いてくれたんだろうか、それとも?といつも考えていました。
しかしベトナムの男性のていたらく(笑)ぶりには・・・・ガッカリだよっ!!

お国柄にしては立派な建物ですね。私はベトナムという語音を聞くと、昭和44年頃、新宿駅地下広場で発生した“べ平連”事件を思い出します。
今のベトナムでは考えられないことですが、平和と言うことは大切なモノなんですねー...

♪きょんちさん
お返事遅くなってすみません。ベトナム戦争は日本の若者にも影響を与えましたね。戦争の写真は今まで撮った分で十分です。お母様、先生だったのですね。きょんちさんも先生の雰囲気をお持ちです。

♪イソップさん
そんな事件がありましたね。日本の若者も影響を受けました。西洋の列強と米ソに揺さぶられたベトナムの本当の国創りはこれからですね。若者の手にかかってます。

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