2004.01.29

調律師の恋

『調律師の恋』 ダニエル・メイスン著 小川高義訳 角川書店

 一八八六年、調律師のエドガー・ドレークは英国陸軍省から一通の書簡を受け取った。ビルマの奥地で仏製エラールのピアノの調律をしてくれないかというものだった。そのピアノは軍医少佐アントニー・J・キャロルがわざわざ英国から運ばせたものだという。エドガーは愛妻キャサリンを一人残し、英国を後にした。船と列車を乗り継ぎ、アラビア、インドを経て、ラングーンからマンダーレに到着。そしてピアノがある奥地のメールィン村にやっとたどり着く。おりしもマンダーレ王朝は崩壊の危機にあり、英国の統治下に置かれようとしていた。メールィン村で傷んだピアノをみごと修理調律したエドガーは、熱帯雨林の奥地に美しいピアノの音色を響かせることができたが……。

 物語は十九世紀の船旅にふさわしくゆったりとしたテンポで推移する。長い旅の見聞録は、視覚的にも聴覚的にもまた嗅覚的にも異国の香りを漂わせ、なかなか興味深い。変わりゆく旅の風景描写とならんで身体に受けた傷がもとで、人生を大きく変えられた人々の話も語られていく。難破した事故がもとで、耳が聞こえなくなったアラブの老人の話。ピアノを運ぶ最中にヘビに噛まれて死んだ人夫の話。そんな話に続いて、ビルマの大自然の中に、数日かけて修理調律したエラールのピアノから昔さながらの美しい音色が響く。だが、調律師エドガーは、キャロル少佐同様、その地に大きく魅せられ、祖国に帰る気持ちを無くしていた。修復したピアノに甦った美しい調べと、異文化と異空間に魂を奪われ昔に戻れなくなった人間の対比がいわれのない切なさを感じさせる。武力を行使して統治しようとする英国陸軍とは対照的に、西洋文明の象徴であるピアノから流れるバッハの音色が熱帯雨林のアジアの素朴な人々を魅了する。

 著者ダニエル・メイスンは、二十六歳にしてこの大作を書き上げた。マラリアの研究員としてそこで暮らした経験と、時代背景の確かさがこの物語をいっそう読み応えのあるものにしている。ビルマをめぐる当時のヨーロッパ列強の政治も見え隠れしていろいろな角度から楽しめる物語だ。(2004/01/16:読了)

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